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日なたと木陰

木陰で立ち止まって一休み。ちょっと考えることや、どーでもいいことなど

流るること、水の如し!

って書くと昔から言われている名言っぽいので書いてみました。

流れる・流るるでちょっと迷ったんですが、日本語合ってるんだろうか・・・。

http://www.flickr.com/photos/57181139@N03/7526863922
photo by MohammeD BuQuRais


ブログを書いていて良かったと感じる事がたまにあります。

例えば、今回のように言及を頂いたりした時。

先日の記事(闘争心が無さすぎる。 - 日なたと木陰)を書いてから2名の方に言及を頂きました。ありがとうございます。

お二人の記事と、自分の体験からもう少し“闘争心”について書いてみようと思います。

まず、こー (id:koh0605)さんの記事のご紹介から。


闘争心なくてもシアワセになってやる! - いずれも。

引用です。

闘争心なくても、ぜったいシアワセだったと笑って人生終えてやる!・・・って書いてみて思ったけど、これこそが闘争心じゃないか?なんだ、どっかに置いてきたと思ってた闘争心、こんなところにあったのか。

私も闘争心が無いなりに自分とは戦っていますw 内向きの闘争心は誰も傷付けないし、自分にとっての幸せに向かって進んでいくことはとても大切な事だと思います。当事者じゃないのでこの記事からの判断になってしまいますけど、上司の方はこーさんの事を思って勇気づけようとして仰った可能性もあります。私も他人との温度差に悩んだ事もありますが、最近ではこのように考える事にしています。


激しく落ちる滝の前で仙人のような師匠から言われた事を思い出します。

“こかげよ・・・耳で声を聞くのではない。心の声を聞くのじゃ・・・”



例えば上司が根性論で「そんな仕事で給料持って帰るのか?」と言ってきたとき。

耳で聞くとそのままの意味なので「はぁ?そんな仕事ってどういう意味じゃごりゃああああ!」って心の中だけで言いますけど、心の声を聞くと「○○(上司の名前)は、あなたに幸せになって欲しい。もっとクオリティの高い仕事ができるようになって、もっと成長して、出世して、幸せになって欲しいんだ・・・」となります。

つまり、その人の言葉からその人は自分に何を伝えたいのかをできるだけ前向きに検討するという作業です。これをすれば少しだけ楽になるような気がします。

と言ってもその人が意地悪で言っているのか、愛ゆえに言っているのかは何となく伝わるところであるかと思いますのでこーさんが仕事を辞める選択をされたのは愛を感じなかったからかもしれませんし、こーさん自身がそう選択されたならそれが正しいことだったのでしょう。

長くなりましたが、自分が幸せになってやる!という内向きの闘争心はとても大切だと思います。

私も死ぬときに大切な人を集めて「最後に一言だけ・・・幸せな人生じゃった・・・。」と言って笑顔で死んでいきたいと思っています。

よっしゃー!どっちが幸せになれるか、勝負じゃーい!(←冗談です)

***

もう一人はSACHI* (id:ssachiko)さん。お子さんに闘争心がないとのこと。
ちょっと話がそれますけどSACHI*さんのブログ、キャラ弁の記事が凄いです。あの目覚ましテレビでも紹介されているようです。どーだ!凄いだろ~。個人的にはキャラ弁の記事も素敵ですが、お母さん目線で子育てについて考えたり感じた事を書かれている記事も凄く好きです。


「闘争心」はあっても、なくても良いのかもしれない。 - sachiko’s blog

話を戻します。

この記事を読んで、“嫌われる勇気”に書かれていた文章を思い出しました。

“馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませる事はできない”

そして私がこれに加えるなら、

“無理に水を呑ませようとすると馬は暴れ、怪我をする”

という感じでしょうか。

私も子育てをしていて、子供がまだ言葉を話せないくらいに小さい時でも強い意志を感じる事があって、ああ、こんなに小さいのにもう好きなもの、嫌いなものがあるんだ。と感心した覚えがあります。

日々の中でどうしても子供をコントロールしてしまう時がありますけど、(「早く着替えなさい!」とか「早く朝ごはん食べなさい!」とか)生まれた瞬間からもう他人な訳で、子供をコントロールしてしまうって言うのはとんでもない事なんだなと冷静な時は思っています。子供は天からの預かりもの。預かったものだから大切に育てて、育ったら手放す。と時々自分に言い聞かせています。

あとは以前に書いたこともありますが、基本的に人は幸せに向かって進んでいくものだと思っていますので、親にできることと言えば子供に選択肢を与える事だと思っています。

海を見た事がない子供は海が好きだ!とは言えません。

親は子供に海の素晴らしさを話し、海に連れていくことができます。

そして子供がこれが好きって事にめぐり合えたなら、それをとことんさせてみるといいんじゃないかな?と今は思っています。

しかし更にもう一点。

「物心ついた時からずっとピアノを弾いています。」というようなケース。親が主導で最初から1つを選択してその道を進む。どんどん山を登っていきます。その頂上からの景色は、頂上まで登った人にしか分からないでしょう。

子供にも、大人にも時間は有限です。無数の選択肢があってどれを選ぶか。ゲームのようにセーブポイントに戻る事はできません。どれが正解かもわかりませんし、おそらく人の数だけ正解があるのだと思います。

それが子育ての難しいところでもあり、楽しいところでもあります。

子供の適性を見極め、子供にとって良い選択肢を示したいです。

どっちが子供に良い選択肢を示せるか・・・勝負じゃ~い!(※冗談です)

流るること、水の如し!

かなり長くなってしまいました。ここまで読んだ下さった方、ありがとうございます。もう少しです。

闘争心がないのも善し悪しですけど、今回はこのようなやり取りをさせて頂けたので闘争心がなくて良かったです。

“日なたと木陰”というブログタイトルにもしていますが物事には“陰と陽”2つの意味があります。闘争心がなくて悪い面もありますが良い面もあります。

ですが今回は闘争心の無さを良しとする方向で締めくくりたいと思います。

“流るること、水の如し!”

争わず、ただ流れる水のように。