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日なたと木陰

木陰で立ち止まって一休み。ちょっと考えることや、どーでもいいことなど

おばあちゃんと母と私と娘、みんな生まれて、みんないつかは死んでいくんだ

暮らし 考え方

http://www.flickr.com/photos/65414509@N00/296367576
photo by paul goyette


今日はおばあちゃんの家(母の実家)に行ってきました。

おばあちゃんからすると孫である私にも娘ができた関係で、おばあちゃん改め“ひいおばあちゃん”になっています。母は“おばあちゃん”です。

子供ができると子供視点の呼び方に変わってしまいますよね。

ひいおばあちゃんはもう90歳近い年になっていて、少し痴呆が始まっています。
おそらく私の事も誰だかよくわかってないんじゃないかな?という感じでした。

私はおばあちゃん子で、小さい時おばあちゃんにとても良くして貰いました。
私が緑茶を好きなのも、和菓子を好きなのもおばあちゃんのおかげです。

うちの娘は私よりも良くできた子(我が子自慢ですいません)で、ひいおばあちゃんにとても優しく接してくれていました。抱きしめて、手をつないだり、絵本を読んであげたり、ダンスを見せてあげたり、似顔絵をプレゼントしたり。

私もそれを横でボーっと眺めていて、ここに書く事を考えたりしていました。

こうしておばあちゃんに会いに行くって言うのはとても大切な事です。

順当に考えれば、おばあちゃんが先に死んで、次は母が死んで、次は私、その次に娘が死んでいくのだと思います。

死というのはとても悲しい事だけど、いつかは必ず訪れる事です。

昔はおばあちゃんはしっかりしていて、幼かった私の世話を沢山してくれました。

そんなおばあちゃんが今はこの状態です。
少しづつ確実に年老いて、いつかは死ぬ日が来るでしょう。

娘は今は何となくしかわからないかも知れませんが、こうして過ごす事が大切なんだと思いました。

娘が「いつかパパとママも死んでしまうの?」と悲しそうに聞いてくる事がこれまで何度かありました。

何と答えるのが正解かは分かりませんが、その場凌ぎで誤魔化すのが何故か気が引けて「いつかはパパとママもおじいちゃんおばあちゃんみたいになって死ぬ時がくると思うよ。でも娘子もその時には大きくなって結婚して、子供ができて・・・あれ?結婚はしたいんだったっけ?だよね結婚したいって言ってたよね?うん、だから子供もいて娘子の家族ができているから寂しくないよ。」と抱きしめて、正面から向き合って言ったのですが正解だったのでしょうか?わかりません。

少し話が逸れましたが、私も父方の祖父母と同居していたので人はこうして年老いて死んでいくのだというのを近くで見ていました。

弟はおじいちゃんが死んだときに、やりたい仕事が見つかったそうです。

私はおじいちゃんが死んだときに、自分はどういう人生を生きたいのかを考えました。

人が生まれて年老いて死んで行くのには次の世代に「生きる事」について考えさせるという意味もあるのかもしれません。

お正月休みも近いので、家族、両親やおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に過ごしましょう!