読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日なたと木陰

木陰で立ち止まって一休み。ちょっと考えることや、どーでもいいことなど

戦後70年。もっとも身近な戦争経験者に当時の事を聞く。

暮らし 考え方

http://www.flickr.com/photos/49503078599@N01/25210069
photo by jovike


※文章のみですが、戦争体験についての一部グロテスクな描写があります。閲覧注意。


皆さんは何歳ですか?

戦後70年っていうと、当時20歳だった人は今年で90歳になります。戦争の体験を直接聞くのはそろそろ最後のチャンスになっているかもしれません。

私たちの世代は、(って私は年齢を公表していない訳なんですけど)祖父母が戦争を直接体験していて、両親は終戦後を育って来た世代、そして私たちは戦争を知らないけどその世代に育てられた世代です。

毎日考えている訳ではありませんが、自分の子供を含めてこれからの世代に戦争の事を伝えて行かないといけない、そんな事を感じています。

今回、ここに書き残す事は、戦争を生き残った17歳の少年(私のおじいちゃん)の話です。

今日、おじいちゃんに話を聞いたのですが、こんな言葉から始まりました。

「今まで生き残ってるから大した経験はしてないけど、2m先に焼夷弾が落ちた時はびっくりしたもんねー」

明るいトーンで話をしていましたが、2m先に焼夷弾が落ちる経験は大したことないのでしょうか?これは死者や戦地で戦っていた人に比べてという事だと思います。亡くなられた方は死ぬ程に凄惨な経験をされている。想像を超えた体験がそこにあったのだろうという事だと思います。

2m先に焼夷弾


焼夷弾

攻撃対象を焼き払うために使用する。そのため、発生する爆風や飛散する破片で対象物を破壊する通常の爆弾と違い、焼夷弾は中に入っているもの(焼夷剤)が燃焼することで対象物を火災に追い込む

引用元:焼夷弾 - Wikipedia

「2mくらい先に焼夷弾が落ちてきたときは生きた心地がせんかったね」

「焼夷弾がゴチーンって倒れよったけど、あの落ちてくる時の音は生きた心地がせんねー。」

「焼夷弾は不発やったん?」

「焼夷弾は不発やった。」

「焼夷弾言うたら、すぐ先の山の向こうに絨毯爆撃に来よったのも見たねー。」



戦争を経験した人の多くは、こういったちょっとの差で死んでいたという経験をしている方も多いのだと思います。また、亡くなられた方も少しの差で亡くなられた方も多くいらっしゃるのだと思います。

グラマン機銃掃射

グラマン

グラマン(Grumman Aircraft Engineering Corporation、後にGrumman Aerospace Corporation)はアメリカ合衆国の航空機メーカー。
グラマン - Wikipedia

機銃掃射

歩兵部隊や要塞陣地、船舶、航空機などが装備した機関銃や機関砲を使用して、地上または海上の目標を連射・側射により攻撃する方法である。
機銃掃射 - Wikipedia


「すぐ先にグラマンの機銃掃射が来よった事もあったねー。」

「こんな(指を5cmくらい開いて)大きさの弾が落ちよったからあれに当たってたら生きとらんやろうねー。」

学徒動員のアルミ工場労働への道中にて

学徒動員

学徒勤労動員(がくときんろうどういん)または学徒動員(がくとどういん)とは、第二次世界大戦末期の1943年(昭和18年)以降に深刻な労働力不足を補うために、中等学校以上の生徒や学生が軍需産業や食料生産に動員されたことである。
学徒勤労動員 - Wikipedia

「学徒動員でアルミ工場へ行く途中に赤子を背負ったおっかさんの焼死体があったね」

「あと担架で運ばれる人。大腿部の(太腿を指さし)皮膚が担架の下までベロンと剥がれてて、あの皮膚の剥がれた部分の色は忘れられん」

特攻でみんな死んだ

特攻

特別攻撃隊(とくべつこうげきたい)は、生還の見込みが通常よりも低い決死の攻撃、もしくは戦死を前提とする必死の攻撃を行う戦術部隊のこと。略称は特攻隊(とっこうたい)。
特別攻撃隊 - Wikipedia

「3つ上は特攻でみんな死んでしもた。わしが3年生まれ(※昭和3年生まれのこと)。大正生まれの人間はみんな特攻で死によった。」

終戦が昭和20年なので、3つ上の大正生まれの人は20歳以上。

3歳上の人がみんな死んでしまう、そんな状況想像できますか?

炭鉱の中国人

強制労働

強制労働(きょうせいろうどう)とは、自分の意思によるものでなく、他の者に強要されることによってする労働。労働酷使のような意味で使われることが多い。しばしば奴隷的な拘束・待遇を伴う。
強制労働 - Wikipedia

「終戦になったら、炭鉱の中国人が一斉に解放されよった。」

「徒党を組んで町を歩きよった。」

「イギリス兵は優しい、豪州兵は荒っぽい」

※個人の経験談と認識をそのまま書いています。特定の国や民族を差別する意図はありません。

「豪州兵は、帰還した将校がおるやろ。あれの身ぐるみを剥がしよったもんね」

「帰還した将校は軍刀とブーツを剥がされよった。」

腹が減るから動かない

「戦後は食べもんがないからできるだけ動かんようにする。そうすると運動不足になる。運動会になると走れない。」

「そうすると先生が、「真面目にやれ!」と怒鳴りよる。」

「周りは農家の子やから走れる。」(※農家の子は食糧不足の影響が少ない?)


大玉のスイカ

この後、親戚が集まっているところにおじいちゃんが大玉のスイカを持ってきて「足りるかいな?」と言う。私と妻は思わず顔を見合わせ、(絶対余るやろwww)とひっそりとツッコむ。

昼食をお腹いっぱい食べた直後という事もあって、当然残ってしまうのですが物資の少ない時代を生きてきた人にとって、物が足りている状態というのが幸せな事なのだと思います。

両親も物があるということが豊かであるという価値観。

私は足るを知る、というと聞こえがいいですがありがたい事に生まれた時から生きるために必要な物が不足した経験をしていません。

おじいちゃん達は捨てられない。欲しくても足りなくて苦労した世代。食べたくても食べられなくて生死を彷徨った世代。

そんな時代を生きた人に、「スイカ買いすぎやでー」って言えます?

最後に

自分も毎日生きていると色んな事がありますが、ちょっとの差でおじいちゃん達が生き残っていなければ私も、妻も、私の娘も、道ですれ違う人も、これを読んで下さっている皆さんも存在しなかったかもしれません。

これって凄い事だと思いませんか?

やっぱり人には生きている意味があるのだと思います。

なぜ自分は今生きているんでしょう?

そんな事を考えました。