子育てをしていると子供を見ていて気づかされることが多くあります。
娘と一緒にお風呂でいろんな話をするのが日課になっています。同性であれば大きくなっても温泉に一緒に入ったりできますが、娘と一緒にお風呂に入るものもうそんなに長くないでしょう。
そんな寂しさを感じながら、今のうちに色んな話をしています。
楽しい事について、嫌な事について、好きな食べ物について、どれだけ給食をおかわりしたかについて、公園でどんな遊びをしたか、誰と遊んだか、おやつは何だったか、習い事で嫌な事があった、習い事で上手くいった、転んでけがをした、注射をしたけど泣かなかった・・・などほんとに色んな話をします。
私が聞く事も多いのですが、娘から聞かれる事も多いです。
「パパは何色が好き?」
「○子の好きなくだものは何だと思う?」
「パパの好きなくだものは何?」
「○子はディズニーランドに行きたい!」
「パパはどこに行きたい?」
「パパは○子のことは好き?」
「○子のどんなところが好き?」
「パパは将来何になりたいの?」
「パパのお仕事はどんなの?」
「パパはおじいちゃんになったら死ぬの?」
まっすぐな目でこちらを見て聞かれると、即答できるものもあればハッとさせられて考え込んでしまうようなこともあります。
私は小さいころから「お兄ちゃんだから賢くね」とか「お兄ちゃんだから我慢しなさい」とか言われて育てられてきました。
もちろん両親には感謝しているのですが、もともとおとなしい性格もあって、人前では周囲に合わせること=主張しないことが正しい事だといつしか思うようになりました。
このブログでは自分の考えたことを書いていますので、これを読んでいる方は矛盾していると思われるかもしれませんが、私は大勢の人の前で意見を言ったり感情を出すのがあまり得意ではありません。
私の娘は躊躇なく感情を表に出します。嬉しい時は嬉しい、悲しい時は悲しい、痛い時は痛い、楽しい時は楽しい。
はっきりと自分の意見を言いますし、一度言い出すと頑固です。これがしたい、これが食べたい、この服を着たい、習い事はこれがしたい。
娘もこれから社会生活を営んで行かなければなりませんので、命に危険があること、周りの人に迷惑をかけること、お行儀の悪いことは注意しますが、それ以外なら娘の意見をできるだけ尊重するようにしています。
娘と話をしていると、ちゃんと自分の意見を持っていて、自分の感情を表に出すことは素敵なことだなと思うようになりました。
「パパはどうしたい?」
と言われると、
自分はどうしたいのだろう?とその都度考えるようになって、最近では少しずつ、自分はこれがしたい、これが食べたい、ここへ行きたいと言えるようになりました。
皆さんは自分の人生の主人公になっていますか?