親友と久々に飲みに行って幸せって何だ?というような話をしたので書きます。今回は真面目な話です。
まず、簡単な紹介から。
この親友とは幼稚園からのくされ縁で今も仲良くさせて貰っています。
私は友人は多い方ではないですけど(浅く広く付き合うというのが苦手です。)親友と呼べる人物は数人います。ありがたい事です。
友人はアートな仕事をしていて、平凡な仕事をしている私とは対称的です。もしかしたら情熱大陸から取材が来るかも?というような仕事をしています。私のところに取材が来たらそれはそれで面白いかもしれませんけどね・・・。
私も自分で認識している限りで初めての人生なので、この考えが正解かどうかわかりませんが、どなたかの何かのお役に立つかもしれないと期待してこの記事を書きます。
では本題です。
隣の芝は青い
男同士が飲むとエロの話になると思いきや意外とそうでもなく彼と私はよく仕事についてや人生についてなど話すことが多いです。
彼は平凡に暮らしている私を幸せそうで良いなと言いましたが、私は少し驚きました。
私も彼に対して同じように思っていたからです。情熱を捧げられる仕事をしていて、それで生活ができている。とても幸せな事だと思います。
幸せに対する認識はお互いに同じで、死に際に「ああ、自分の人生は概ね幸せじゃったな・・・。」と思えるかどうかという事でした。
子供がいるという事は、幸福になる1つの方法かもしれない
これは賛否あるかと思いますが、私はなんとなくこのように思います。
もちろん人にはいろんな生き方があり、それぞれ全てが正解だと思います。
しかし人間も動物なんだということも事実です。子供ができてから胸の中からじわじわくる幸福感はおそらく遺伝子レベルのものなんじゃないかと思っています。遺伝子レベルでプログラミングされているからこそ客観的に見ればこんなに大変な活動を幸福だと感じるんだろうな、と思っています。極端に言えば、全ての子育てが苦痛でしかなければ人類は滅んでいたかもしれません。
誰だって幸せになりたい
今のところこれまで生きて来て辿り着いた答えがこれとこの後のもう一つです。
どんな人も幸せになりたいと思っているから行動するんじゃないかなと思っています。
好きな仕事をする、恋愛する、子供をつくる、結婚しない、お金持ちになりたい、お金なんていらない、自由が欲しい・・・。
逆に、これは書くべきかどうかちょっと迷いましたが、人を傷付ける、攻撃する、自分を傷付けるなども、その人にとってそれが幸せ、と言うと語弊がありますがその人にとってより大きな苦痛から解放される為の手段なのだろうか?と考えたりします。あくまで私が勝手に考えているだけで、わかりません。
その人にとって幸せの形はそれぞれ違うので、それを尊重しなければいけないなと思っています。そう考えると少しだけ他の人ともきちんと向き合えているような気がしています。但し人を傷付ければ血が流れ、人の心を傷付ければ涙が流れることを理解し、他人を尊重しなければならないと思います。
私が幸せだと思う時、私は幸せなんだ
もう一つの答えがこれです。(年を重ねれば考えが変わるかもしれません。)
何を言ってるんだお前は、と思われそうですが割と真面目に思っていたりします。
隣の芝は青いし、上を見ればきりがない。比べれば優劣ができる。相対評価ではなく絶対評価。
誰が何と言おうと、私が幸せだと思う時、私は幸せなんだと思います。
最後に
如何だったでしょうか?
最後にこの言葉をあなたに送ります。
“誰が何と言おうと、あなたが幸せだと思う時、あなたは幸せなんです。”
この記事があなたのお役に立てたなら、私は幸せです。
最後までお読み頂きありがとうございました。
top photo:photo by benjaminasmith